【鈴木家の嘘】命の“質量”。家族の自死と向き合う鈴木家の苦しみと再生。
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タイトル:鈴木家の噓
ジャンル:ドラマ
日本公開:2018年
製作国 :日本
監督  :野尻克己
出演  :岸部一徳 / 原日出子 / 木竜麻生

 

あらすじ
父・幸男、母・悠子、兄・浩一、妹・富美の4人家族の鈴木家。
長年引きこもりをしていた浩一はある日自室で首を吊って自殺してしまう。
そのショックで倒れた悠子は病院に運ばれるが昏睡状態に陥る。
49日後、長い眠りから目を覚ました悠子だったが息子の自殺の記憶を失っていた。
息子はどうしているかという母の問に富美はとっさに「お兄ちゃんはアルゼンチンで働いている」という嘘をつく。
そこから母に浩一の死を悟られないための鈴木家の嘘がはじまる。
というお話し。
メタ壱スコア 3.8

野尻克己監督の初の劇場映画監督作品の本作「鈴木家の嘘」。
父・幸男役を岸部一徳さん、母・悠子役を原日出子さん、兄・浩一役を加瀬亮さん、妹・富美役を木竜麻生さんというスキのないばっちりな配役です。
この作品でまず感じた事は、岸部一徳さんをはじめ出演者の方々の演技力の高さ!
岸部一徳さんと言えば個人的にちょっと変わった役が多いというイメージだったので“普通のお父さん”の役に新鮮さを感じたのですが、しかし普通の役を演じる事で岸辺さんの演技力の高さを改めて感じさせられました。
また、原日出子さんや岸本加世子さん、大森南朋さんなど安定の高い演技力の役者陣が浩一の自殺、母に対する嘘などそれぞれが抱える葛藤を素晴らしい演技で観客に訴えかけてきます。
妹役の木竜麻生さんはこの作品で初めて知ったのですが、400人の候補者の中から選ばれたのも納得の演技力でした。
彼女の役柄は登場人物の中でも特に難しいもので、自殺した兄に対する憤りと愛情が混ざり合った複雑な感情を表現しなければならないのですが、木竜さんはそれを見事に演じきっていたと思います。
それを大人のようでもあり子供のようでもある彼女のその存在感がより引き立てていました。

 

■シリアスとコメディ
この作品の最大の特徴として挙げられるのがシリアスとコメディの共存です。
この作品は“長男の自殺”という重いテーマを扱っているのわけですが、それに反して全編に渡ってコメディ要素がまんべんなく散りばめられています。
シリアスなシーンとコメディなシーンが常に隣り合わせにあります。
とても重たい状況のストーリーですが、コメディシーンが随所に差し込まれる事により観客の気持ちが沈み過ぎないので観ていてシンドくなりません。
映画を観ている側も、周囲が母に嘘をつき続ける様子をずっと観ていると結構心の負担が大きくなってくるんですよね。
その負担をコメディ表現がうまい具合に緩和してくれます。
また、その落差がシリアスなシーンをコントラストとして強く浮き上がらせてもいます。
そのバランスがとても良く、緊張と緩和が絶妙なバランスで保たれているのが野尻克己監督の力量の高さを覗わせます。

 

 

⇩ここからネタバレ⇩

■命の“質量”
この作品のテーマは“家族の自殺”です。
そして焦点をあてられているのが、長男の死そのものというよりは、遺された家族の長男の自殺との向き合い方です。
息子の死の理由を探りながら引きこもりだった息子と初めて向き合い始めた父。
息子の死を受け入れられずその記憶を消し去ってしまった母。
自殺をする事で家族に苦しみを与えた兄を恨む妹。
三者三様の自殺した浩一に対する想いが丁寧に描かれています。

またその3人が親戚や同じく親族を自殺で亡くした人々との関わりの中で浩一の死と向き合っていく様を通して家族の死、自殺、そして周りの人間にとっての一人の人間の命の重みと大事さという命の“質量”というものを観客に考えさせてくれます。

自殺というのは人の死の中でも特別なものだと個人的に思っています。
病死や老衰、事故などによる死とは違い、周りの人間が救うことが出来たかもしれないという思い。
それを出来なかった、本気で向き合っていなかったかもしれないという申し訳なさ。
そういった遺された者に後悔や罪の意識のような十字架を背負わせる事になるのが自殺というものなのだと思います。
それは、自殺をした者が遺族に残す癒える事のない傷跡として、救えなかった者と救われなかった者の魂を永遠に捕らえ続ける罰のようなものなのかもしれません。

しかし、そうやって大事な人を失い、癒える事のない傷を負った者もその後も人生はずっと続いていきます。
向き合い、乗り越えなければなりません。
この家族のとった行動、息子の死の理由を探る、記憶を無くす、兄を恨むというのは浩一の死を乗り越えるまでのそれぞれの通過点だったのだと思います。
自殺者遺族の集会に笑顔で人にお節介を焼く中年女性がいました。
その態度を会のボランティアスタッフが訝しむシーンがありますが、そんな中年女性も実は裏では夫の自殺に苦しんでいました。
そうやって人にお節介を焼く事が彼女にとっての乗り越えるための通過点だったのだと思います。
親族の自殺を乗り越える、といっても本当の意味では乗り越える事など決して出来ないのかもしれません。
しかし人の心を救えるのは人だけなのだと思います。
浩一を失った鈴木家はそれぞれがそれぞれの方法でその死と向き合いました。
もしかすると、鈴木家は人の死と向き合う時に必要な、探る事、忘れる事、怒る事を3人で分担し共有する事で支え合いながら、最後には彼の自殺したその部屋で真正面から浩一の自死と対峙し受け止める事が出来たのかもしれません。

物語りの終盤で鈴木家はイタコに依頼し浩一の霊を呼び寄せます。
もちろんイタコの降霊など嘘っぱちなわけで、母はその事は解っていました。
しかし、それが嘘だと解っていてもそれぞれの気持ちを言葉にし偽イタコを通して浩一と向き合った事で彼らはようやく前へ進む事が出来るようになったのだと思います。
このシーンがコメディ的に描かれている事が鈴木家の気持ちがようやく前を向けるようになった事を感じさせました。

そしてラスト。
父親がずっと探していた、浩一が保険金を残していたソープ嬢のイヴちゃんとようやく会える事になりました。
家族ではない、浩一が唯一心を開いていたかもしれないイヴちゃんはきっと鈴木家が知らなかった浩一の一面を知っているに違いありません。
結局そのイヴちゃんが何を知っていたのかは劇中で描かれる事はありませんでしたが、僕はそれで良かったと思っています。
この物語りは家族の死と向き合う遺族の物語りであり、何が悪かったとか誰が悪かったのかという物語りではないから。

こうして鈴木家は支え合い、時に傷つけ合いながら、浩一の死に対して出来る事はなにもないという無力感を受け入れながらも家族3人で前へ進み始めることが出来るようになったのだと思います。

引っ越しを決意し、家族3人でイヴちゃんに浩一の話しを聞きにいくラストシーンは浩一の死に捕らわれ身動きがとれなくなっていた彼らが未来へと進んでいく最初の一歩を感じさせました。

 

まとめ

生きている間常に私達の隣にある“死”ですが、それを意識する事はあまりありません。
家族や友人がある日突然死んでしまうなんて事はなかなか想定していないものです。
僕はこの作品を通して命の“質量”を知った事で周りの人達の大切さと今この瞬間の関わりを大事にすることの重要さに気づかせてもらいました。

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