【寝ても覚めても】女の業を鮮烈に描いた異色のラブストーリー!
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タイトル:寝ても覚めても
ジャンル:恋愛
日本公開:2018年
製作国 :日本
監督  :濱口竜介
出演  :東出昌大 / 唐田えりか / 瀬戸康史

 

 

あらすじ
大阪に住む朝子はある日偶然に出会った不思議な雰囲気をもった男・麦(ばく)と恋に落ちる。
しかし麦はある日突然靴を買いに行くと言って出て行ったまま戻って来る事はなかった。
それから約2年後、東京のカフェに務めていた朝子は麦と瓜二つの亮平と出会い恋に落ちるのだが・・・。
というお話し。
メタ壱スコア 4.0

業[ごう]=理性によって制御できない心の働き。不合理であるとわかっても行ってしまう行為。

 

本作は「ハッピーアワー」の監督である濱口竜平監督の初商業映画です。
そしてこの「寝ても覚めても」は「万引き家族」と同じ第71回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に選出されました。
カンヌ国際映画祭の最高賞であるパルムドールは「万引き家族」にゆずる形となりましたが、選出されただけでも物凄い事なわけです。

■賛否両論!?一筋縄ではいかない心のヒリつく異色のラブストーリー!
本作は正真正銘のラブストーリーです。
ラブストーリーなんですが・・・鑑賞後、僕はなぜかサイコスリラーを観た後の様な気持ちになりました(笑)
それくらいにこの作品は普通のラブストーリーではありません。
まさに女の業。
それをオブラートに包んだり、美しく脚色したりする事なく恐ろしい程にストレートに描いています。

この作品を観て「恋」ってなんなんだろうと改めて考えさせられました。
よくよく考えると恋って不思議なものです。
世の中にはたくさんの男女がいますが、好きになるのはその中の一人なわけです。
じゃあ、その人をなぜ好きになったんだろうと考えると多くの場合、明確に言葉には出来ないものです。
顔が好みだから?
性格が合うから?
外見なんてただの形にすぎません。
そして逆に性格、というか人間の心なんてフワフワした形のないものです。
形のない「心」を形のある「外見」でパッケージングしたものが「個人」としての人間だとします。
そのパッケージングされた「個人」を唯一無二の存在として人は人に恋をします。
しかし、そこになにか不具合が起きた場合その認識はどう処理すればよいのでしょうか?

そのあたりを描いた作品にパク・ジョンヨル監督作品「ビューティー・インサイド」という映画があります。
この作品では、眠る度に外見(顔、人種、年齢、性別)が変わってしまう主人公の恋愛物語りを描いています。
外見という固定されたアイコンを喪失した時、人は何をもって相手を個人として特定するのか、という事を問いかけています。
しかし、一方「寝ても覚めても」ではそれとはある意味逆に、元カレと今カレの顔が同じな場合、その二人を完全に別の人間として認識できるのか?混同してしまわないか?もし今カレが元カレに似ていなかったらそれでも好きになっていたのか?という事が描かれています。

 

そこに「昔の恋」という要素が加わってきます。
大抵の場合、昔の恋はケンカや別れ話や浮気などの“キッカケ”という一定の手続きを踏む事により区切りがつきます。
そしてそれはいつしか“過去”という戸棚に仕舞われるわけです。
しかし今作の主人公、朝子の場合は、恋人である麦の突然の失踪により本来踏むべきキッカケを失ってしまった中途半端な状態の中で麦と同じ顔をした亮平に出会ってしまうわけです。
そんな状況の朝子がどういった行動をとりどういった決断をするのか、それがこの物語りの核なのです。
それがもうなんというか、心がヒリヒリするような露悪とも言えるくらいのストレートさで描かれた女の業によって観る者の感情を揺さぶってきます。
あなたはそんな朝子をどう思うでしょうか?
僕は、否定半分、共感半分といった感じです。
ただ、この作品はしばらくトラウマになりそうです(笑)

 

 

⇩ここからネタバレ⇩

朝子の感情の変遷

この作品では主人公・朝子の心の中とその動きがあまり言葉などで表現されていません。
なので、一見すると朝子はちょっと人としてどうなのという行動とるヒドイ女性に見えてしまいます。
そこが僕がサイコスリラー的に感じた要因なのですが。
ということで、ここからはそんな朝子が何を考え、なぜそんな行動に出たのかについて考えてみたいと思います。

1、麦との劇的な恋
全ての始まりは麦との強烈な出会いからはじまります。
写真展で偶然出会った麦に突然話しかけられ、数言言葉を交しただけで突然キスをされます。
現実離れした劇的な出会いです。
二人の後ろで鳴っていた爆竹のようにこの出会いは朝子にとってとても劇的なものだったのでしょう。
そこから二人は順調に関係を育んでいきます。
が、この麦が普通の人だったら良かったのかもしれませんが、ちょっとクセのある不思議な人だったわけです。
むしろその掴みどころのない不思議なところが朝子の心を強く掴んでしまって忘れられないものにしてしまったのでしょう。
そして恋心がピークなところで麦は突然いなくなってしまいます。

劇的な恋の幸せのピークにその相手が突然いなくなってしまった事で朝子の心は麦に永遠に囚われてしまったわけです。
先述したように、普通の恋愛は何らかの形をもって終わりを迎えますが、朝子と麦の恋愛の場合は尻切れトンボのように終わってしまい区切りが付けられない状態になってしまったのです。
例えば、恋人を事故などで亡くした人がそうなるように、朝子の中で誰にも超える事ができない存在に麦はなってしまったのかもしれません。
むしろ、恋人が亡くなった人の場合は相手の死という形で区切りが付きますが、朝子の場合は「明日戻ってくるかもしれない」という可能性がある状況の中で区切りを付ける事ができないでいたのでしょう。

2、亮平との出会い
そんな恋愛に区切りをつけられないままで約2年が過ぎた頃に朝子は麦と顔のそっくりな亮平に出会ってしまいます。
おそらくこの出合いに朝子はひどく混乱したに違いありません。
ここから朝子は亮平に対して付かず離れずの距離にいます。
積極的に亮平とは関わらないものの、近づこうとする亮平を完全には拒絶しません。
亮平に惹かれる気持ちと、このままでは自分がまずい事になってしまうという漠然とした不安の間で揺れていたのでしょう。
しかし、しばらくすると朝子は亮平との関係を完全に断つ事を決心します。
亮平に惹かれる感情が、それが亮平に対する純粋な感情なのか、亮平に麦をダブらせて、もしくは麦の代替として惹かれているのかの区別がつかなかったのかもしれません。
しかし、こんな状態で亮平との関係を進展させる事は良くないと思った朝子は亮平との縁を切ります。

しかし、そんな時に大きな震災に襲われます。
十歳の震災の後、結婚したカップルが増えたと聞いた事があります。
いつ何が起こるかわからないという現実に直面し、大事な人といる事の大切さや想いを伝える事の大切さを実感したのかもしれません。
また、そういった不安に対して誰かと一緒にいたいと思ったのかもしれません。
そして朝子もそういう風に感じた一人だったのでしょう。
その震災をきっかけに朝子と亮平は結ばれます。
そして二人は順調に恋を育みます。

しかし、そんな朝子の前に麦の存在が再び現れます。
麦との共通の旧友との再会。
そして、麦がタレントとしてブレイクし始めた事で彼の姿が朝子の目に触れるようになり、これまで気持ちの奥に仕舞い込んでいた麦への想いがにわかに朝子の心に蘇ってきます。
そうならないように、朝子は旧友にも何の連絡もせずに上京したのでしょうが、結局朝子は麦との恋愛を忘れる事は出来ていなかったのです。
朝子は偶然麦が撮影をしている公園に居合わせますが、車の中の姿の見えない麦に大きく手を振って自分の中で麦との恋愛に決別し、亮平と結婚する事を選びました。

3、麦との対面
しかし、そんな朝子の気持ちとは裏原に麦は朝子の前に直接姿を現します。
この事によりに朝子の心は大きく揺さぶられる事になります。
そして引っ越しの直前、朝子は麦と共に亮平の目の前から去って行きます。
きっと朝子はこれまでずっと、押入れの奥に無理矢理押し込めるように麦への想いを心の奥に押し込めていたのでしょう。
しかし、その押し込めた感情は目につかないところにあるというだけでそのものが無くなったわけではないのです。
そして、麦が目の前に現れた事で押入れの中の物はガラガラと崩れてしまっていたはずの感情が現れてしまったのです。
これまで朝子は、亮平との愛を育む内に麦の「顔」に対して亮平という人間を上書きしていたのでしょう。
しかし、実際に目の前に麦が姿を表した事で、亮平と麦が違う人間であると確実に認識してしまったわけです。

4、麦との逃避行
そして朝子は亮平との事など無かったかの様に麦と車に乗って北海道に向かいます。
しかし朝子は仙台で車を降り、麦に別れを告げます。
そしてそこから自力で東京の亮平の元に戻ります。
おそらくこの逃避行は朝子が麦への気持ちに対してけじめをつけ彼との恋愛に決別するための儀式の様なものだったのではないでしょうか。
僕は朝子ははじめから麦ではなく亮平を選ぶつもりだったのだと思います。
しかし、麦という存在とその恋愛にきちんと踏ん切りをつけないまま亮平と結婚するわけにはいかないと思ったのだと思います。
それは友人と絶縁する事になったとしても乗り越えなければならないほど朝子にとって重要な事だったのです。
そうやって一度かつての恋愛に戻り、向き合う事によって、きちんと終わらせられなかった過去の恋愛に終止符を打ったのです。
だから、亮平との行動範囲であった仙台で車を降りたのです。
先代より先は亮平ではなく、麦の世界だから。
仙台についた時朝子は車の中で眠っていましたが、仙台で目が覚めたのは、夢の様だった麦との恋愛から覚めたという事なのかもしれません。
また、仙台というのは朝子にとって重要な場所だったのです。
朝子は仙台での復興支援活動は「正しい事がしたくて」やっていたといっていました。
つまり朝子にとってあの震災で亮平と結ばれた事は「間違っていた」事で、それとのバランスをとるための慈善活動だったのでしょう。
だから、支援活動が難しくなる亮平との引っ越しは朝子自身がその罪から解消されたからということだったのかもしれません。
そんな彼女にとって重要だった仙台という地で、朝子は麦と本当の意味で決別しました。
だから、帰りは自力です。

5、亮平の元に戻った朝子
麦と決別した朝子は再び亮平の元に戻ります。
ここからの朝子はとても力強い意思をもっていました。
麦との事に完全に決着を付けた朝子は、自分のした罪深い行為を謝罪をするつもりもなく、これから先亮平に信用される事もないという事も受け入れると強く言います。
朝子はきっと、麦との決着を付けないまま亮平と結婚する事は、麦と逃避行する事よりも罪深いと思っていたのでしょう。
その一方で自分のした行為の罪深さもよく理解していて、自分のした事の報いを受け止めた上ではじめて亮平に対して一人の男性として向き合う事を決心したのだと思います。
なんとなく弱そうで優柔不断そうな女性だった朝子は、仙台で麦と別れて以降驚くほどに力強い意志と眼差しで亮平への愛を示すのです。
しかし、亮平からしたらたまったものじゃないですよね(笑)
その二人の心境のズレがラストシーンで表現されています。
家の前を流れる川を亮平は「汚い」と言い、朝子は「でも綺麗」と言います。
この先この二人がどんな生活を送っていくのかを想像するとちょっと苦しい気持ちになります。

言葉などで語られなかったことで、理解が難しかった朝子の言動もこうして振り返ってみるとそれがわかってくるような気がします。
僕もはじめは朝子の行動にビックリ仰天し、自分勝手な振る舞いにこいつ軽くサイコパスなんじゃないかとすら思ったのですが(笑)
こうやって朝子の心を追ってみると、実はその行動の芯には朝子の“誠実”さがあったのではないかと思います。

 

まとめ

とにかく、こんなラブストーリー観た事ない!って感じの映画でした。
世界中には様々な恋愛映画がありますがこういった描かれ方の恋愛モノはかなり新鮮でした。
当然後味も良くはないです。
泥水を飲んで、喉にザラザラしたものが引っかかっているような(笑)
しかし、今までにないアプローチで描かれた鮮烈な物語りは一見の価値があります!
上辺ではない、人間の生々しい内面を通して愛を描いた本作!
主人公の行動に賛否両論あると思いますが、それを自分の中で咀嚼したり本作を見た人同士で語り合うのも楽しいと思います。

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