【人魚の眠る家】脳死状態の娘を狂ってでも守り抜く母の愛と願いの物語り。
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タイトル:人魚の眠る家
ジャンル:ドラマ
日本公開:2018年
製作国 :日本
監督  :堤幸彦
出演  :篠原涼子 / 西島秀俊 / 坂口健太郎

 

あらすじ
夫と別居し6歳の娘・瑞穂と息子・生人を女手一つで育てている母・薫子。
ある日プールでの事故で瑞穂は脳死状態となってしまう。
一度は娘の死を受け入れた薫子だったが、筋肉の反射で指が動いた娘を見て瑞穂の延命処置を決断する。
そして夫の会社で開発していたBMI(ブレーン・マシン・インターフェース)の電気信号で瑞穂の体を動かす事に成功した薫子は娘は生きているという思いを強くしていく。
しかしその事が徐々に周りの人々との間に溝を作っていく事になり・・・。
というお話し。
メタ壱スコア 4.1

東野圭吾さん原作、堤幸彦さん監督の本作「人魚の眠る家」。
東野圭吾さんが30周年を記念して書いた小説の実写化です。

この作品のテーマは「脳死」。
事故により脳死状態になってしまった娘に対する母親の強い愛が描かれています。

一度は脳死というものについて考えた事のある人は多いのではないかと思います。
僕もつい先日運転手免許証の更新に行ったのですが、免許証の裏に臓器提供の意思表示をする欄をみて脳死について少し考えたばかりでした。
運転免許証の裏には、心臓が動いていても脳死の場合は臓器を提供する、心停止の場合にのみ臓器を提供する、臓器提供をしない、の3択があります。
僕は脳死での臓器提供に丸を付けたのですが、やはりそこは少し考えてしまいました。

脳死とはつまり脳は死んでいるが体は生命活動を続けている状態です。
二度と目を覚ます事はありません。
しかし心臓は動いているし体は成長します。
果たしてこの状態の人間は生きているのか、死んでいるのか。
これはいくら考えても答えの出る問題ではありません。
しかしそれに直面した家族はそこに答えを出さなければならないのです。
このような難しいテーマを扱った本作ですが、この映画は脳死に対する単純な是非の二択で終わっていない所が本当に素晴らしかったです。

この映画には脳死状態の娘の母親と父親以外にも、弟や祖母、従姉の母娘やBMIの開発をしている研究員とその恋人など多くの人物が登場し、様々な立場のそれぞれの考え方が丁寧に描かれています。

この事で映画を観ている間中ずっと僕の心は激しく振り回されていました。
母親の視点で観ると娘は生きていると感じたかと思えば、別の人物の視点から観ると母親は既に死んでいる娘に執着している狂気じみた人物のように映るのです。
様々な人間の気持ちが痛いほど伝わってきます。
そして更にそういった人間ドラマだけではなく、科学と倫理というこれまた難しいテーマにも触れていてとても密度の濃い重厚な作品に仕上がっていると感じました。
さらにはちょっとしたホラー的な演出や緊張感のある展開など、人間ドラマ、社会性、エンターテイメントが実に良いバランスで作られています。
ですからこの作品は老若男女幅広い層の人たちが楽しめるのではないかと思います。
誰にでも解りやすい作品というのは少し掘ってみると底が浅いものになりがちですが、この作品は誰にでも解りやすいもののとても奥が深いと感じました。
スマホ界において初心者にも使いやすく、玄人にも納得の性能と完成度を誇るのがかの有名なiPhoneですが、まさにこの作品はそんな感じ!
正直、僕の事前の予想を上回る完成度でした。

©2018「人魚の眠る家」製作委員会

そして子役の子たちの演技も演必見です!
この作品には娘の瑞穂以外にも弟の生人と従姉が登場するのですが、この3人の演技がとても良くてその演技に涙を誘われました。
ビビリます。
多分小学校低学年から中学年くらいの年の子達だと思うのですが、本当に末恐ろしい(笑)
どんな訓練や練習をすればあの年であんな演技力を身につけられたのか。
是非子役の子たちの演技にも注目して観て頂きたいです。

それから印象に残ったのが劇伴。
イギリスの〈ピアノの魔術師〉と呼ばれるアレクシス・フレンチさんが担当しています。
全編ピアノ中心の曲なのですが、特にオープニングで流れるこの作品のメインテーマ「The Discovery 」という曲がこの作品の空気を実に良く表していてとても印象に残りました。
サントラを買おうと思っています。
そしてエンディング曲である絢香さんの「あいことば」はこの映画の為に書き下ろされた曲だそうで歌詞も曲も映画ととてもシンクロしていて、エンドロールでの余韻がとても良い時間になりました。
エンドロールが流れ始めた途端席を立つお客さんを引き止めたくなるくらいでした(笑)

映画に行きたいけれど何を観ようか迷った時はこの作品をチョイスしておけばハズレはないと思います!
恋人同士でも家族でも友達同士でも、誰とでも観られる作品です。
もちろん僕みたいに一人でも!

 

 

 

⇩ここからネタバレ⇩

愛と狂気は紙一重というか、表裏一体というか、もしかするとある意味では同種とも言えるのかもしれない、なんて事をこの映画を観ていて感じました。
韓国映画の名作「母なる証明」でも母の息子に対する愛情/狂気が描かれていたのを思い出しました。
考えてみると映画などで「愛」を描く時に最も効果的な要素の一つが「狂気」なんだと思います。
例えば同じ東野圭吾さん原作の「容疑者Xの献身」もそうですし、「彼女がその名を知らない鳥たち」や最近だと「愛しのアイリーン」など。
フランス映画の「愛、アムール」と
「湯を沸かすほどの熱い愛」のラストシーンなんかもある意味では狂気的と言えるかもしれません。
一見「愛」とは対局にありそうでありながら愛に内包される狂気を描く事は、コントラスト的にそれをより際立たせるのかもしれません。

 

■薫子の愛と狂気
普段、身の回りの人の死を意識する事はほとんどありませんが、こういう事って誰にでも突然起こる可能性って十分あるんですよね。
この物語りの主人公・薫子もある日突然最愛の娘の死に直面します。
しかもそれは「脳死」。
脳は死んでいるけれど肉体は生命活動をしている状態。
娘の身に起きた事を受け入れる間もなく脳死状態の娘の生死を親自身の決断によって決定を迫られます。
本当に辛い決断だと思います。
ここで死を認めると言う事はある意味で親自らが娘を死なせる事でもあるからです。
薫子も一度はなんとか娘の死を受け入れたものの瑞穂の指が筋肉の反応で動いたのを見てその決心が瓦解してしまいます。
そりゃそうですよね・・・。

はじめは娘の呼吸器を取り外せるようにする為に行った自発呼吸のための横隔膜のペースメーカーの手術。
ここから薫子の中の娘への気持ちが暴走してゆきます。
横隔膜のペースメーカー手術の成功により呼吸器のチューブから開放された瑞穂は一見ただ眠っているようにしか見えません。
そしてBMI技術。
この技術で瑞穂の体が動くようになり、薫子はより娘は生きていると考える様になります。
自発呼吸が出来るようになり、科学の力で体が動くようになっていく瑞穂を見て映画を観ている僕も嬉しい気持ちになっていきましたし瑞穂は生きていると思うようになりました。
しかし、BMIの専門家である星野の恋人・真緒の登場でその感情が一変します。
星野の行動を気にして彼の後をつけていた真緒が薫子と瑞穂に対面するシーン。
外では雨の降る薄暗い部屋でのその場面はまるでホラーのように描かれていて、それは部外者である真緒からみた彼女らに対する心象が如実に表現されていました。
それで僕はハッとさせられましま。
これまでの懸命な母の愛情とその行動は、その外側からみるとそれは狂気に映るのです。
既に死んでいる娘の体を機械で無理矢理生きているかのように動かし、その死を受け入れていない母親の言動は常軌を逸しているようにしか見えないのです。
さらにはそんな瑞穂を毎日のように乳母車で散歩させたり、弟の入学式に同席させたりする薫子に周囲は次第に気味の悪さを感じはじめます。
まわりの人間からすると薫子は娘の遺体を連れて回っているようにしか感じられないでしょう。
薫子の気持ちも解りますが、まわりの人々の気持ちも解ります。
このあたりの描写が観ていてとても辛かったです。

 

■科学と倫理

©2018「人魚の眠る家」製作委員会

BMIの専門家の星野。
彼はBMI技術で瑞穂の体を動かす事に成功した事で自身の力と科学の力に傾倒して行きます。
そんな星野の恋人である真緒は、科学に傾倒してゆく星野が自分をないがしろにしていく事に対する不満もあいまってその技術に嫌悪感と恐怖を感じます。
この二人の存在はまさに「科学と倫理」を体現した存在だと言えます。
瑞穂を動かす事に成功した事により傲慢になっていく星野は、瑞穂の父・和晶にも「僕に嫉妬しているんじゃないですか?」「僕が第二の父親です」と言い放ちます。
しかし決して星野はマッドサイエンティストなどではなく、瑞穂たちに力を貸したいと思う優しい青年です。
ただ科学の力に傾倒し視野がせまくなってしまった事で彼は人の心をないがしろにしてしまったのです。
それは科学技術が神の領域に到達してしまった現代において今を生きる人々がこれからぶち当たっていく壁の一つなのだと思います。

 

■母の願い

©2018「人魚の眠る家」製作委員会

次第に狂気じみた行動がエスカレートしていく薫子と周囲の溝はじょじょに深くなっていきます。
そして薫子がBMIにより瑞穂の表情筋を動かし笑わせるシーンは本当に切なく、そして怖いものでした。
そして瑞穂の弟の誕生日会の日、周囲の人々が瑞穂がすでに死んでいると思っている事を知り激情にかられた薫子は瑞穂に包丁をつきつけます。
瑞穂が既に死んでいるのであれば私が娘を刺しても殺人罪には問われない。
もし殺人罪に問われるのであればそれは娘が生きていたという事の証明だから私はそれを喜んで受け入れる。
娘の生死を国に決めてもらう。
このシーンを観てはじめて僕は薫子の本当の願いにはっと気が付きまし。
薫子も本当は娘が既に死んでいるという事を自覚していたのです。
もし娘が生きていると本気で思っていたのならば瑞穂に包丁を突きつけるなんて事は絶対にしないはずです。
彼女のこれまでの狂気のような行動はただ「瑞穂はまだ生きている」とみんなに思って欲しかった、そしてそう言って欲しかったからなのだと思います。
そうすれば薫子自身も瑞穂が生きていると思う事が出来たから。

そんな薫子を見て、娘は既に死んでいると言っていた和晶は薫子に瑞穂を殺さないでくれと泣きます。
家族も理性では瑞穂が死んでいると思いながらも、心の奥では瑞穂の体に彼女の命を感じていたのでしょう。

その後、瑞穂は体調を悪化させ心臓を停止させます。
薫子は夢の中で瑞穂がお別れを言ったその日を彼女の命日とします。
人の命というのは科学で測るようなものではなく、周囲の人間の心の捉え方が決めるのかもしれませんね。

そして瑞穂の心臓は病気を患う少年に移植されます。
エンディングで流れる絢香さんの「あいことば」にはところどころで心臓の鼓動のような音が入っています。
彼女自身も子供を持つ親だからこそこの作品に寄り添った曲を作る事が出来た、とても素晴らしい曲とエンドロールでした。

 

まとめ

世界では脳死は人の死とみとめられる事が多いそうですが、日本では脳死の場合その判断が親に委ねられるそうです。
それは選択肢があるようで、実のところとても残酷な事だと思います。
法律が決めてくれればいっそ諦められるのに。
そうであれば薫子はこんな形で苦しむ事はなかったでしょう。
超高齢化社会を迎えた日本では今後さらに尊厳死など、人の命や死について考えていかなければならなくなると思います。
この作品はそんな人の「死」について考えてさせられる今の日本人にとってとても重要なテーマを持つ作品だと思いました。

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