【ペンギン・ハイウェイ】考察が楽しい謎いっぱいのジュブナイルストーリー!
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タイトル:ペンギン・ハイウェイ
ジャンル:アニメ / ファンタジー
日本公開:2018年
製作国 :日本
監督  :石田祐康
出演  :北香那 / 蒼井優 / 釘宮理恵

 

あらすじ
ある日突然町にペンギンの群れが現れた。
その謎を解き明かそうと、小学4年生のアオヤマ君は知り合いのお姉さんや友達と調査をはじめる。
しかし、アオヤマ君の前には次々と新たな謎が現れる。
というお話し。
メタ壱スコア 3.8

本作は石田祐康監督初の劇場長編アニメ映画です。
石田監督は学生時代に自主制作で「フミコの告白」という作品を作っていて、この作品が文化庁メディア芸術祭アニメーション部門優秀賞などの賞に選ばれています。
僕も専門学生時代に授業でこの作品を観せられたのですが、学生の自主制作作品とは思えないほど高い作画力と表現力に驚きました。

さてさて「ペンギン・ハイウェイ」。
チラシのデザインも、ペンギンと少年という設定も、まさに夏休みアニメ映画!といった感じの本作。
たまにはこういう作品を観てほのぼのしようかなぁ〜くらいの気持ちで本作を観に劇場に行きました。
正直、夏休みのアニメ映画ですし子供向けの映画なんだろうなとそんなに期待はしていませんでした。
しかしその予想は良い意味で裏切られました。
基本的には小学4年生のアオヤマ君が町に突如現れたペンギンの群れの謎を探るというお話しなのですが、この作品一筋縄ではいきませんでした。
とにかく謎が多い!
ペンギンの群れ以外にも大きな謎が現れ観客の頭を休ませてくれません。
ほのぼの映画でまったりしようと思っていた僕は、いつの間にかそれらの謎のヒントを探すために頭フル回転でスクリーンに見入ってしまっていました。
映画館を出た後も、帰りの車の中も、お風呂の中もしばらく映画の事を考えていました。
僕は、映画を観終わった後もその作品について考察出来るような謎の多いスルメ映画が大好物なのですが、この「ペンギン・ハイウェイ」はまさにそんな僕にうってつけの作品でした。
子供にとっては少年たちの冒険ストーリーとして楽しめ、大人にとっては深く考察を楽しめるかなり上質な作品に仕上がっていたと思います。
小さなお子さんのいらっしゃるお父さんお母さんはもちろん、考察の楽しめる作品が好きな方にもオススメの作品です!

 

⇩ここからネタバレ⇩

この作品、とにかく謎が多い!
しかもその謎には明確な答えが用意されていないわけです。
そんなわけで、ここからは僕個人の考察、というより妄想を書いていこうと思います。
ちなみに原作は未読です。
また、あくまで僕の個人的な考察ですので的外れな考察も多々あると思いますがご了承下さい(笑)

まずはタイトルの「ペンギン・ハイウェイ」の意味。
作中でも説明がありますがペンギン・ハイウェイとは、「ペンギンが海から陸に上がって進む決まったルート」の事です。

© 2018 森見登美彦・KADOKAWA/「ペンギン・ハイウェイ」製作委員会

その事から「ペンギン・ハイウェイ」とは「人間が生まれて歩む道」つまり、人生を表しているのだと思います。
余談ですが、南極のペンギンは意外にも人懐っこいらしいです。
南極に住む彼らは人間を見たことがないので警戒心をいだきづらいらしいのですが、もう一つの理由として、人間がペンギンと同じ二足歩行だからとも言われています。
同じ姿勢で歩く人間をある種の仲間だと思うのかも知れません。
実は地球上で二足歩行をするのは人間とペンギンだけらしいのです。
もちろん猿や熊など二足歩行が可能な生き物は沢山いますが、デフォルトが二足歩行なのは人間とペンギンだけとの事。
そう考えると、ペンギン達が道を歩いている姿は人間のそれと重なりますよね。

タイトルである「ペンギン・ハイウェイ」を人生だと解釈する事でこの物語りが人間の人生をテーマにしているのではないかと推測出来ます。

そこから考察を進めます。

次に気になったのが、主人公アオヤマ少年とお父さんの会話のシーンです。
アオヤマ少年は世界の果てがどこにあるのかについて考えます。
それは宇宙の向こう側なのではないかと。
しかしお父さんはアオヤマ少年に意味深な事を言います。
お父さんは袋を取り出して、この中に世界を入れることが出来るかと聞きます。
そしてお父さんは袋の外側と内側をひっくり返して、こうすると世界は袋の中に入った事になると言うわけです。
このお父さんの言葉は、つまり世界の果はどこか遠くにある訳ではなく自分の内側にあるという事を言いたかったのだと受け取れます。
自分の中にある世界の果・・・。
僕はこれを「死」だと解釈しました。
これはタイトルの意味とも重なります。
「ペンギン・ハイウェイ」=「人生」。
その果にあるのは「死」。

この事から僕はこの物語りには「死」というテーマがあるのではないかと感じ始めました。
物語りの中盤あたりで、アオヤマ少年の部屋に「お母さんが死んじゃう〜」と妹が泣きながらやってくるシーンがあります。
このシーン、前後のシーンとの繋がりがあまりない唐突な場面だったように思うのですが、このシーンがある事により、やはりこの作品には「死」がテーマとし存在しているという思いが強くなりました。

では、お姉さんの正体とは?
これまでの考察から僕はお姉さんの正体は「死の具現化」なのではないかと思いました。
アオヤマ少年は頻繁に「おっぱい」と言う言葉を口にします。
もうアオヤマ少年の頭の中はおっぱいだらけなのではないかと言うほどおっぱいを連呼します。

 

© 2018 森見登美彦・KADOKAWA/「ペンギン・ハイウェイ」製作委員会

最初はアオヤマ少年が異性に興味を持ち始める年頃だからかと思っていたのですが、彼のそのおっぱい発言にはほとんど性的なニュアンスを感じません。
画的にも性的な印象を与えるようなおっぱいの描写はほとんどなかったように思います。
そして、アオヤマ少年は「お母さんにもおっぱいはあるけど、“お姉さん”のおっぱいはお母さんのそれとはなんだか違う」というようなニュアンスの事を考えます。
小学4年生というと少しずつ異性に興味を抱く年頃です。
しかし、これに「死」というキーワードを当てはめて考えると違った意味に捉える事が出来ます。
「生」の象徴であるお母さんのおっぱい。
それとは違うおっぱいを持つ“お姉さん”はやはり「死」の象徴だと捉える事ができるのではないでしょうか?
だから“お姉さん”は食事を取らなくても平気だったのではないかと思います。
食事は生きる為の行為ですから。

そんな“お姉さん”に惹かれていたアオヤマ少年はつまり「世界の果て」=「死」に興味を抱いていたのです。
多くの作品では「死」は忌避すべき対象として描かれますが、学者肌のアオヤマ少年にとっては「死」は恐れるものではなく純粋な興味の対象だったのではないでしょうか?

ではあの「海」と呼ばれた球体は何だったのか?
作中ではそれは球体ではなく穴だと言われていました。
そしてその穴の向こう側には世界の果てを思わせるような荒廃した世界が広がっていました。
この事から「海」の正体は生の世界と死の世界を繋いでしまったトンネルだったのではないかと考えられます。

では、“お姉さん”が「海」を破壊する(穴を修復する)ペンギンを生み出していた理由は何なのか。
それは、お姉さんが生と死を繋げてしまった穴を修復するためだったのだと思います。
このままでは世界が死によって飲み込まれてしまう。
そこで「世界」から遣わされたのがその穴を修復する使命を負った“お姉さん”だったのです。
実際、“お姉さん”は「海」からエネルギーをもらっていて、体調も「海」と連動していました。
そして、生と死は適度なバランスを保たなければなりません。
だから「海」は大きくなったり小さくなったりの変化を周期的に繰り返し、物語りの終盤で遂にそのバランスが崩れ死の世界が拡大し生の世界を呑み込もうとしてしまいました。

そう考えるとここで疑問。
“お姉さん”が「死」の具現化的存在であるならば、何故穴を修復する必要があったのか。
「死」としての存在であるならば、世界を死が呑み込んでしまっても良かったのではないか。

そこで思い出したのが、「プロジェクト・アマゾン」を1人続けていたウチダ君が見つけた発見です。
おかしな事に、町を流れる川には上流も下流もなく、町をぐるっと一周していたのです。
つまり、この川は「循環」しているのです。
それは人間の生と死の循環を表す輪廻の象徴だと考える事が出来ます。
そう考えると“お姉さん”は単なる「死」としての存在なのではなく、生と死を併せ持つ「輪廻」を司る存在だったと言えるのではないでしょうか?
だからこそ“お姉さん”はそのバランスを保つ役割を背負っていたのです。
しかし、アオヤマ少年との出会いで生の世界に愛着を持ってしまった“お姉さん”は穴を修復する役割を持ったペンギンを生み出しつつも、それを捕食するジャバウォックという存在も生み出していたのかもしれません。
なにせ穴を修復する為に遣わされた“お姉さん”ですから、その仕事が終わってしまったら消えてしまいます。

そして最後、穴を修復するという使命を終えた“お姉さん”はアオヤマ少年の目の前で煙のように消えてしまいます。
でもアオヤマ少年は悲しむ事はありませんでした。
いつかまた“お姉さん”に会える事を信じているのです。
そのいつか会える時というのは、アオヤマ少年が成長して大人になり、年をとって人生をまっとうしてその生涯を終える時なのかもしれません。
まとめるとこの作品は「死」というものを悲観的に捉えるだけでなく、生と同価値の人生の一部として描いているのではないかと感じたというのが僕の最終的な結論です。

 

まとめ

以上がこの作品を観て考えた僕の考察です。
自分でもちょっと穿った見方過ぎるんじゃないかとは思っています(笑)
ですが、こういった謎が多くしかもそれらに明確な回答が用意されていない作品ですから、鑑賞した個人個人が色々な自分なりの回答を導き出してもいいのではないかと思っています。
そんな色々な人の色々な考察を話し合ったりするのも映画の楽しみの一つですよね。

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