【机のなかみ】誰しもみんな、自分の人生の主役で、誰かの人生のヒーロー・ヒロインもしくは脇役。
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家庭教師の男・馬場が教え子の女子高生・望に恋をしてしまうのだが〜というお話。

さすが、天才YOSHIDA(シネマのミカタ感)!

純粋にコメディやラブストーリーとしても十分面白いのですが、そのストーリーが多重構造になっていて、と思いきやさらに循環構造にもなっているという緻密さに脱帽。

前半、馬場のイタい自己主張をこじらせた感じに観ているこっちが恥ずかしくなってくるコメディ感に思わず笑ってしまうのですが、後半から作品全体の質感が大きく変化していきます。

その伏線の回収も去ることながら、卓越した物語の構成力によって“今まで見えていなかったものが見えてくる”という、登場人物のセリフではなく観客の読解力を信頼した吉田監督の見せ方に監督の持つ才能を感じざるをえません。

人間誰しもがそれぞれの人生の主人公です。
例えば僕の30数年の人生に30数年なりの質量と重みがあるように、たまたま街ですれ違った、僕の人生においては通行人Aでしかない彼・彼女にも同等の質量と重みがあるわけです。

あいつはいつも楽しそうで幸せな人生送ってるんだろうなとか、どうせこんなやつロクな人生送ってきてないんだろうなとか、自分との距離が遠い相手ほどその存在を矮小化して捉えてしまいがちですが、全ての人に全ての人と同じ分の人生と物語があるのです。

僕にはこの作品の裏の主人公は馬場でも望でもなく、馬場の恋人である美沙であるように思えてなりませんでした。

物語においても馬場にとっても脇役でしかなように思える彼女は、この物語の裏でずっと彼女が主人公の彼女の人生を生きていたのです。
何も考えてないような女性に見えて、本当は彼女だって誰も知らないところで悩み苦しみ考えて生きていたのです。

そんな彼女は、望にとっての馬場であり、僕にとってのあなたであり、あなたにとっての僕なのかもしれません。

僕が今傷つけてしまっているかもしれないあの人も、今あなたが傷つけてしまっているかもしれないあの人も、僕たちあなたたちと同じ価値をもった人間なんです。

その事を忘れてしまいそうになった時、この作品を観返して他人という存在を尊重する心をなくさないように生きていけたらと思います。

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